ショートメッセージ (2011/ 5/ 20更新) 

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       (過去ログ)

(2009/ 6/ 25更新)
<子宮筋腫と子宮全摘>
子宮筋腫の治療に関心を寄せています。治療法がここ数年で大きく変化してきているからです。
子宮筋腫について書かれた本のなかに、ライフスタイルによって手術方法を選ぶ、という部分を目
にしたときは変な気がしました。ライフスタイルとは、子どもをもうける予定があるかないか、というこ
とのようです。医療現場では患者が同意しない手術はしないので、ライフスタイルとは関係なく患者に選択権があります。これは安心してよい点です。子宮全摘のご自分にとってのメリットとデメリットを理解した上で術式を選択することが理想です。しかし、選択権があるようで、そうでもない雰囲気があるようです。なぜでしょう。
筋腫だけを切りとる手術は、技術を要し時間もかかり子宮全摘に比べて危険度が増すからです。医師生命をかけて手術に臨む、といえば大げさですが、昨今の医療訴訟の多さを考えれば、医療技術の進歩にもかかわらず以前にもまして厳しい状況下で医師が手術に臨んでいるのは確かです。これが、外科系や産婦人科の医師不足につながっているのではないでしょうか。
診療報酬を調べてみると、技術的に難しい筋腫核出の方が子宮全摘よりも安い設定になっていていました。筋腫核出を出産予定のある人に限定したくなる気持ちは、少しわかる気がしました。
老後までを見越した女性のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を考慮した子宮全摘のメリットとデメリットの考察があるとよいのですが、それも難しい話です。その人がベストと思う治療を自己決定することが大切です。

(2009/ 5/ 10更新)
<上杉謙信>
近年の大河ドラマに上杉謙信が二度登場しています。ドラマのなかの上杉謙信は、いずれもかっこよくえがかれていました。篤姫同様、自我を超えたところに拠り所を見いだし、上に立つ者として人々から信頼される人生をまっとうした人であったからだと思うのです。時代を超えたヒーローと呼べるのかもしれません。
私たちの秘かなあこがれをドラマの上杉謙信は体現しているのではないでしょうか。今回スポットが当たった直江兼続の明るく生きる姿には好感をもちます。そして、豊臣秀吉の申し出に屈しなかった誇りこそが、後世に名を残す由縁ではないでしょうか。正義や義に焦点が当てられたドラマが誕生する背景を考えざるをえません。血で血を洗うような悲惨な時代に通じる記憶は、私たちの潜在意識
のなかにあって、怖れに駆り立てることもあります。けれども、それに惑わされなくてもよい、という教えといいますか、諭しを見いだすことができるのではないでしょうか。
心のなかの曇りが晴れ気持ちがすっきりする。そして、なんとなく勇気がわいてくる、そんなドラマに霊的な視点を感じます。

(2009/ 3/ 5更新)
<篤姫>
もう昨年のことになってしまいましたが、このドラマに織り込まれているスピリチュアルな視点を楽しんで見ていました。例をあげましょう。養父の意向で使命を携えて将軍家に嫁いだ篤姫でしたが、彼女はそれに従うことに葛藤を感じるようになります。将軍である夫に向き合っているうちに芽生えた愛情があり、相手を大切に思う気持ちが強くなっていったからです。養父から仰せつかった使命と、自分のなかに燃え上がる気持ちを天秤にかける事態に追い込まれ、篤姫は苦しみますが、最終的に自分の気持ちを尊重しました。それこそが霊的な道を歩む者の選択!と思いました。江戸城の無血開城、自分に誇りをもっていなければできない選択です。さらに、現実に根を降ろしていなければ、できない選択です。チャクラシステムをご存じの方は、理解できるのではないでしょうか。私たちは地面に足をつけ、天との架け橋となる存在です。現代は幕末の動乱の時代に比べれば、安全で安定していますが、現実に生きる者の困難さは、いつの世も変わらないといえます。変わりゆく時代の流れのなかにあって、変わらない真実を見いだし高い自己に従い行動すること、これこそが、時代を超えて語り継がれるスピリチュアリティなのだと思います。

(2008/ 11/ 25更新)
<アイリーン・キャディ>
古い話ですが、フィンドホーンの創設者のひとりアイリーン・キャディが、公衆トイレで神からの啓示を待って瞑想していたことは有名です。神の啓示といわないまでも、多くの人は何らか形でガイダンスを受け取っているのではないでしょうか。おそらく時期を待って、その人に応じた内容がやってきているでしょう。ガイダンスとは、守護霊とも呼べる存在からの導きです。そんなことないわ、と考えるのは自由です。何かしら大きな力が働いていると感じざるをえない出来事が起きてくることも事実です。精神を張りつめていては、ガイダンスがきたとしても耳を傾けることは難しいでしょう。私の場合がそうでした。身体をこわして休養を余儀なくされ、いろいろなものに出会っていくなかで、アイリーン・キャディのエピソードを読んだときに思ったものです。瞑想中にとんでもないことをいわれたらどうしよう、と。都合の悪いことは聞きたくない、という気持ちがありました。好奇心は人一倍強いと思っていましたが、実はとても恐がりということも実感しました。強さの裏には弱さがあり、弱さの裏には強さがあるのですね。認めがたい自分の一面を受け入れるのには時間がかかりますが、ありのままを受け入れてしまえば、その後はずっと楽になるものです。なぜなら、バランスがとれ、人との関係も変わってくるからです。

(2008/ 10/ 25)
<ガイダンス>
ある朝、目覚めと同時に明瞭に「おしんこしん」という言葉が入ってきました。霊的な存在からのメッセージという気はしたものの意味はわかりませんでした。忘れようとしたとき、思いだしたのです。どこかで見た覚えがあったことを。北海道のガイドブックを広げると、オシンコシンの滝とありました。当時、北海道旅行を計画中で知床半島に足をのばしたいと思っていましたが、どこに泊まるか迷っていました。滝の近くに宿があるに違いないと思って調べてみたら、予想どおりでした。そこに滞在して印象に残ることはありましたが、それだけのことです。重要と思うことは、行き先を決めたあとにガイダンスがきたこと。ガイダンスはヒントに過ぎずそれだけでは何の解決にならなかったこと。意味をさぐり行動してみたら期待は裏切られなかった、ということです。「誰も恨むことはない」というガイダンスが不意にきたのは、災いが降りかかったと気落ちしていたときでした。この言葉にすぐに元気がでるかといえば、そうではありません。憎むことにエネルギーを向けないで、という教えであり、志向のナビゲーションとなるものですが、それに従うのは容易なことではないのです。しかし、落ち込みと怒りの時期を、意外に早く切り抜けることができたのは確かです。憎しみは低い波動ですね。感情に足をすくわれないように注意しましょう。

(2008/ 9/ 25)
<二度の体験>
外出中、不意打ちを受けるような言葉をかけられることが、二度続きました。さすがに考えてしまいます。何が間違っているのかしら、と。前回のレッスンが続いているとしか思えませんでした。こんなとき人が陥りやすいのは、怒りを感じるか、気づくことのできなかった自分を責めるか、です。でも、ここは冷静に対処するしかありません。何事も前向きに!
心の奥底に沈む核心に触れてみると、浮かびあがってくる意識があります。けして知らなかったわけでも、無視していたわけでもないのに、じっくり味わってみると、良い気持ちはしません。はっきりいえば、苦痛です。気づくことと、深く認識することは、だいぶ異なることがわかります。自分のなかに横たわっていたものを掘り起こし、きれいな色に塗り替える作業は時間もエネルギーも必要です。
しかし、これこそが気づくべきことだった、ということを証明するかのように、プロセスが終わりに近づくと、最後にまとめてくれるようなことがおこるのです。これでよかった、そう思えるようになります。
チャレンジには苦痛をともなうということですね。人生はこの繰り返しです。

(2008/ 3/ 5)
<信号無視>
小さい道の赤信号を無視して渡ったそのとき、大きな道路の向かい側から私に向けた叫び声が聞こえてきました。小学生の下校時間帯の安全指導に当たっている方のようでした。信号無視はよくないと、声には怒りがいっぱい込められていました。私も聞こえるように声をはりあげて謝ると、謝って済む問題ではないと、さらに怒りました。見渡しのよい田舎道、子どもが近くにいたら私だって考えます。藪から棒のその言い方に私も怒りがこみあげてきましたが、この状況を収拾する方法はないかと考えました。きっと血圧も上がっていることでしょう。その人をそのままにしたくないと思い、気持ちが収まることを願って来た道を戻り、もう一度信号を正しく渡りなおしました。「それが、当たり前だ。」この言葉が返ってきました。
目的の場所で用事をすませているとき、突然頭のなかでその言葉が繰り返されました。「それが、当たり前だ。」私にとって何か意味のある言葉のようです。何か重要なことを私に教えてくれたのかもしれない。そう気づいたとき、あのおじさんはご自身の仕事に真剣に取り組んでいただけ、と素直に思うことができたのでした。

(2007/ 7/ 25)
<中越沖地震>
 またしても故郷の地で大きな地震がありました。能登半島に続き被災地の映像には心が痛みます。子どものときに新潟地震を経験しました。子ども心に、下から突き上げる激しい揺れに尋常ではない現象を察知しました。あの日、昼間は家族で外に避難していましたが、夕方には家の中に入り普通に生活をしたと記憶します。一瞬のうちにそれまでしていた生活が奪われてしまったとしたら、どう対処できるものでしょうか。当たり前に飲んでいた水が止まり火も使えない、トイレにも困る状況……
 3年前の中越地震のあとでした。沖縄の宮古島を訪れていたのですが、中越地震の被災者に義援金を呼びかける看板を目にしてびっくりしました。こんなに離れた南の島で新潟の人々を応援してくれていることに。宮古島では台風の大きな被害にあってようやく復興してきということでした。「あの
台風のことを知らないの?」と聞かれ恥ずかしくなりましたが、災害を経験したことのある人たちゆえに被災地の苦しみがわかるのでしょう。
 多くの人があなた方を応援しています。

(2007/ 6/ 25)
<森の妖精マリポサリリー>
 マリポサリリーの解説がすんでその場を後にするとき、リチャードは参加者に注意しました。「とらないで」と。FESの創設者リチャードがその花をいかに大切に思っているか伝わってきた一場面でした。マリポサリリーの印象は、森のなかの妖精、または女王です。凛として美しく清楚であり完璧。マリポサリリーの和名はチョウユリといいます。
ユリ科の花は女性性に関連します。レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」には、大天使ガブリエルの背景にユリが描かれていて、大変興味深く感じました。何かの象徴として描いたことでしょう。さて、マリポサリリーのフラワーエッセンスは、母の愛にたとえることができます。エッセンスのキーワードは、慈愛・受容・存在することへの安心感などです。そのエッセンスを服用して、亡くなったお母さんを思い出した人もいます。また、大好きだと思っていたお母さんの嫌な面が気になりだした、という人もいます。反応はさまざまで、フラワーエッセンスの奥深さを感じます。

(2007/ 6/ 1)
<フラワーエッセンスの花との出会い>
 2000年の夏ことでした。FESインテンシブセミナー・ツアーでサンフランシスコから飛行機とバスを乗り継ぎ、ようやく研修先にたどり着いたとき、出迎えてくれたのはカラマツの香りでした。「よく来たね、待っていたよ。」頭の中に、ふと入ってきたメッセージに胸が熱くなったことを思い出します。ここに来るためにどんな苦労をしたか知り迎えてくれた存在がいる、そう感じた瞬間でもありました。
マリポサリリーは、FESフラワーエッセンスのなかでも有名で重要なエッセンスです。セミナーのフィールドトリップでマリポサリリーに出会ったとき、花をとりまいた参加者から驚嘆の声がこぼれてきました。私は大地に咲くその姿に思わず息を呑みました。およそ花とは無縁と思える山男が、その山でしか見ることができない高山植物に魅了され何度も山に足を運ぶという番組を見たことがあります。花は人の心を動かす不思議なエネルギーをもっているのです。

(2007/ 4/ 5)

<フラワーエッセンスについて>
フラワーエッセンスは、現在、店頭でも多く見かけます。感情や思考のバランスを無理なく調整してくれるフラワーエッセンスの可能性は大きいものです。いらいらが起きたとき、別の視点からとらえることができるようになり、余計なエネルギーの消耗がなくなる、という経験は何度もあります。怒り、苛立ち、焦り、嫉妬など感情的な問題の多くは、周囲の人に起因しているのではなく、その人の傾向によることがほとんどです。FESの北アメリカにフラワーエッセンスが国際的にも評価が高いのは、世界中にいるプラクティショナーのデーターをもとにフラワーエッセンスの検証と分析を行っていることにあります。バッチは愛用されてきた歴史から考え、すばらしさはいうまでもありません。そして、はじめての方にも比較的変化がわかりやすいように思います。セルフケアのツールとして使うと重宝することでしょう。

(2006/ 12/ 5)

<エネルギーヒーリングについて>
エネルギーヒーリングには、さまざまな呼び方の手法があります。
ハンズオンヒーリング、クォンタムタッチ、セラピューテックタッチ、レイキ、ボルテックスヒーリング、プラニックヒーリングetc.私の体験では、一見怪しげなネーミングの手法も確かにエネルギーの流れは感じました。肉体に近いところに働きかけるものと、そうでないものがあるように思います。手技・手法名よりも施術者による差の方が大きいことでしょう。受け手側として、肉体に近いところに作用する手法を好む人もいれば、そうではない人もいます。どちらの手法にリフレッシュとリラックス効果を感じるか、ということかもしれません。エネルギーヒーリングの効果は、実はそれ以上のものがあります。過去の感情を解放することなどですが、それにはタイミングがあります。その人自身に解放する準備があること…です。ことでしょう。受け手側として、肉体に近いところに作用する手法を好む人もいれば、そうではない人もいます。どちらの手法にリフレッシュとリラックス効果を感じるか、ということかもしれません。エネルギーヒーリングの効果は、実はそれ以上のものがあります。過去の感情を解放することなどですが、それにはタイミングがあります。その人自身に解放する準備があること…です。

(2006/ 11/10 )
小学生の頃、家の前から道路に飛び出したのを父に目撃され怒鳴られたことがありました。突然姿を現した父に驚くとともに、頭ごなしにしかられて身がすくみました。しかられた理由は、道路に出る前に左右を確かめなかったからでした。そのときのことはずっと私の記憶にとどまっていて、時折思い出すことがあります。それは、交差点を横切るときなどで、ここは特に注意しなくては、と念入りに右・左・右を確認します。あるとき、身をすくめてしまったときの感情が溶け出すという体験をしましたまるで氷が溶けるようにして広がってきたものは、父に感じていた愛情でした。怒鳴られたとき、それまで感じていた愛情の一部を殻のなかに閉じこめてしまったようです。それを感じるのはハートであり、感情が流れてきたときは、頭でとらえる以上の感覚がともないます。エネルギーや気は、疑いのない実体あるものということがわかります。

(2006/ 10/ 25)
散歩中の親子を見かけました。
お父さんの後ろを歩いていた女の子が立ち止まって、突然泣きだしたのです。甲高い泣き声に胸が締めつけられる思いがしました。お父さんはゆっくり振り返ると、にっこりとして「さあ、おいで。」と女の子にやさしく声をかけたのです。女の子の泣き声は小さくなり、そのうち歩き始めました。私はお父さんの落ち着きぶりと温かさに感動しながら、その場面を見ていました。あのようなお父さんの態度は将来、女の子の大切な滋養となることでしょう。親から受けとる安心感や愛情は、子どもにとって重要なものですが、親の愛はときにゆがんで表現されるため、子どもの心には届かないことも多い気がします。なかには、親の顔を知らないで育った人もいるかもしれませんね。フラワーエッセンスは、花のエネルギーを水に転写したもので、それぞれ特有なエネルギーをもっています。父親や母親の元型を表すものがあり、父親や母親にまつわる思いを補足し癒してくれます。一度試してはいかがでしょう。

(2006/ 10/ 5)
20代のはじめ、シュタイナーという文字が妙に気になりカルチャーセンターの講座を受講したことがありました。そこで聞いたエーテル体やアストラル体は、さっぱり意味がわかりませんでした。が、今は私なりに理解できます。
私たちには肉体のほかに、エーテル体やアストラル体と呼ばれる構成要素があるということですね。
シュタイナーが教育に関して主張していることは、おおざっぱにいうと、子供の発育段階を無視してはいけない、ということです。7歳までは身体の成長が優先、次に、エーテル体、アストラル体と続き、自我が完成するという考え方です。看護を学んでいたときに出会った「自己実現」という言葉は、魅力的な響きがありました。自我と自己は区別して考えます。自我をはるかに超えた大きな存在が自己で、セルフや魂といいかえることができるでしょう。自我を超えた人の在り方は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ…」のなかに読むことができます。賢治は自然界に目を開き、スピリチュアルな人であったと感じます。

(スタート・2006/ 9/15)
じめまして。このサイトにようこそ!社会人になってはじめて仕事に違和感を覚えたのは、看護師のときでした。自分でいうのも何ですが、限られた時間内に的確に仕事をこなす能力は高い方でした。あるとき条件反射のように動いている自分に気づきました。身体が勝手に必要なことをこなしているのです。それは、しばらくは心地よいものでした。テキパキと仕事をこなすことができるのですから。しかし、そのうち自分自身の思考や感情(つまり生命力)がその動作を支えていないことに、変な感じを覚えたのです。そこでの仕事や使命に、自分の一部だけが取り込まれている感じです。そう感じたときは、私にとって別の分野や方向に進むべきとき、ということでした。立ち止まって自分自身のなかに入っていくと、自分でも驚くような記憶が飛び出してきます。多くの人との出会いや助けによって、今の自分があると実感し感謝しています